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『歩歩起清風(ほほ、せいふうをおこす)』をモットーに、
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2008年06月04日

豊間 源之進墓

遊佐町 女鹿地内の国道7号線沿いに戊辰の役戦没者 豊間 源之進墓 入口50m』の表示があります。



入口の表示の裏に豊間 源之進についての説明文がありました。


~表示の説明文~
豊間源之進 秋田藩士(遊撃隊令官) 秋田城下楢山裏町に生まれる
戊辰の役開戦後、由利方面に出動、遊撃隊を指揮していたが
女鹿の戦闘を受け戦死 三十四歳


遊撃隊の司令官をなさっていたん方だったんですね。
表示については前から気になっていたのですが、今回意を決して訪ねてみる事にしました。

表示から奥に入ると、うっそうとした茂みになっています。
細い道はすぐに急な登り坂になり、内心ビクビクしながら坂を上りきると
草むらの中に、ひっそりとお墓が建っていました。



墓石には『秋田藩 豊間 源之進墓』と刻んであります。

140年前の戦争で命を落とし、この地へ葬られた志士を想い
ひと気のない山中に佇むお墓に合掌して帰って来ました。


帰宅して調べて見ましたが、豊間 源之進の事績については、詳しい事は良く分かりませんでした。
前に訪ねた、にかほ市 熊野神社の荒川決死隊とともに闘ったのでしょうか?

お詳しい方がいらっしゃったらご教授いただきたいです。


タグ :遊佐町

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この記事へのコメント
道を走っていると、こういう遺跡らしきものをよく見かけますね。
車を降りて尋ねてみるのも、歴史を知るいい機会だと思います。
今度、やってみよう(^-^)
Posted by 鶴鶴ニイさん at 2008年06月04日 08:50
鶴鶴ニイさん さん
コメントありがとうございます。
いつも車で通り過ぎていたので、今回はCUBで行ってみました。
ひと気のないお墓は少しコワかったです(^^)
Posted by はらほろ at 2008年06月04日 11:08
♪コノミチハ イツカキタミチ♪
だけど、気がつかなかった〜♪

この お墓は今どなたが守ってらっしゃるんでしょぅ?
Posted by 婆薔薇 at 2008年06月04日 11:37
婆薔薇 さん
コメントありがとうございます。
お花も供えてあったので、どなかが守っておられるのでしょうね。
詳しいところは不明です。

茂みの中を歩いていたら、ウサギに出くわして
びっくりしました(^。^)
Posted by はらほろはらほろ at 2008年06月04日 11:58
戊辰戦争のとき女鹿でも戦争があったことすら知りませんでした。
会津のことは知ってるのに、近くの事って以外に知らないものですね。
Posted by 酒屋の嫁 at 2008年06月05日 00:00
酒屋の嫁 さん
コメントありがとうございます。
親藩の会津藩と譜代の庄内藩は薩摩長州を主軸とする新政府軍の格好の標的になったようです。
会津に比べて庄内藩がクローズアップされないのは、
戦後、西郷隆盛による庄内藩への寛大な処分も一因かと思います。
こんな田舎町でも近所をブラブラしていると、結構歴史を感じる遺跡を見つけることが出来て
楽しいっす(^^)/
Posted by はらほろはらほろ at 2008年06月05日 10:57
私の祖父のそのまた祖父のお墓になります。
こんなお墓があるなんて、私はしりませんでした。。。
親戚は知ってるかもしれないですが。
そもそも秋田へは、今までにほんの数時間しか立ち寄ったことが無いもので。

曽祖父はこの戦いで幕府軍と戦い討ち死にし、明治政府より正五位を賜ったと聞いています。
立派なお爺様だったと、父や親戚より聞かされてきました。

ブログに取り上げていただき、ありがとうございました。
Posted by 豊間若葉 at 2010年09月19日 23:21
豊間若葉さん
コメントありがとうございます。豊間源之進のご子孫の方ですか!
国道7号線沿いにある表示から少し入った場所に
こちらのお墓はひっそりと建っていました。

お墓には未だに花が手向けてありましたが
これも源之進の人徳のあらわれかもしれませんね(^O^)

こちらにいらっしゃる機会がありましたら
ぜひご先祖のお墓にもお立ち寄り下さい(^O^)/
Posted by はらほろ at 2010年09月20日 06:51
敬老の日に この様なコメントに出会えるなんて感激してます
 ブログ ってありがたいもんですね!
Posted by よっぺ爺 at 2010年09月20日 10:33
よっぺ爺 さん
コメントありがとうございます。
二年も前に私の書いた記事に、
子孫の方からこの様なコメントをいただき私も感激しています。
これからも真摯に楽しくブログを続けて行きたいです('-'*)
Posted by はらほろはらほろ at 2010年09月20日 21:54
豊間源之進は久保田藩(秋田藩)にある尊王過激グループ「雷風義塾」の一員で当然尊王派でした。ちなみに、戊辰戦争における久保田藩の変節には雷風義塾ら若手が騒いだ事も大きかったようですね。

それにしても久保田藩は西軍についたおかげで本領安堵はされたとは言え、裏切られて怒った庄内藩には攻め込まれて領内は大損害、戦後も近隣諸藩からは蔑まれるなど得るものはなく、奮戦した庄内が株を上げたのに対して株を下げまくる結果となりました。
これなら裏切らずに庄内と頑張っていた方がよかったのではないかな。人間、節度は全うするもんですねえ。
Posted by 鶴ヶ魂 at 2010年10月29日 21:52
鶴ヶ魂さん
コメントありがとうございます。
久保田藩にも「雷風義塾」という尊王過激グループがあったんですか!
中央から離れた秋田や庄内でも、志士たちが
それぞれの思いで活動していたんですね。
「雷風義塾」については鶴ヶ魂さんに教えていただいて初めて知ることができました。
私も「雷風義塾」について、勉強してみたいと思います。
詳しく教えていただき、ありがとうございました。
Posted by はらほろはらほろ at 2010年10月30日 06:53
こんにちは、凄い書き込みを見ました。
2010年9月19日に書き込みがありました豊間若葉さん、もし私のこの書き込みを見られましたらコメント下さい。私も子孫で、私達親族を探してます。
Posted by まあくん at 2014年11月03日 22:19
まあくんさん
コメントありがとうございます
ご親族、連絡とれるとよいですね♪
吉報をお祈りいたしております。
Posted by はらほろはらほろ at 2014年11月04日 06:39
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