2008年04月07日
象潟そぞろ歩き。
ほかほ市での落語会までの待ち時間、市内(象潟地区)を散策してました。
歴史ある町だけに松尾芭蕉の宿泊地跡など興味深い史跡が沢山ありましたが、
なかでも印象深かったのは、熊野神社です。
入口に、こんな看板がありました。
戊辰戦争は1868年の出来事ですから、ちょうどいまから140年前に、
庄内と秋田で文字通りの命をかけた戦いがあったという事実を想い、
今更ながら感慨深く眺めてきました。
歴史ある町だけに松尾芭蕉の宿泊地跡など興味深い史跡が沢山ありましたが、
なかでも印象深かったのは、熊野神社です。
入口に、こんな看板がありました。
戊辰戦争は1868年の出来事ですから、ちょうどいまから140年前に、
庄内と秋田で文字通りの命をかけた戦いがあったという事実を想い、
今更ながら感慨深く眺めてきました。
Posted by はらほろ at 06:59│Comments(5)
│石碑・遺跡
この記事へのコメント
それほど遠くない時代に、三崎峠であったことなのですよね。
今、この時代にいると、不思議な感じがします。
でも、戦いに行った一人一人に、様々な想いがあったのですよね。きっと。
今、この時代にいると、不思議な感じがします。
でも、戦いに行った一人一人に、様々な想いがあったのですよね。きっと。
Posted by しみじみしじみ at 2008年04月07日 17:37
はらほろさんこんばんわ。
荒川決死隊しりませんでした。
秋田は勤皇はだったのです。ゴメンナサイ。
実は私は秋田の生まれで、昔だったらはらほろさんと戦う羽目になってたかもしれませんね。もっともその後庄内にも住みましたけどね。それぞれの立場があって仕方なく戦を
したのでしょうね。
荒川決死隊しりませんでした。
秋田は勤皇はだったのです。ゴメンナサイ。
実は私は秋田の生まれで、昔だったらはらほろさんと戦う羽目になってたかもしれませんね。もっともその後庄内にも住みましたけどね。それぞれの立場があって仕方なく戦を
したのでしょうね。
Posted by yoshi at 2008年04月07日 20:20
しみじみしじみ さん
コメントありがとうございます。
武士とはいえ、300年もの間いくさをしていなかったのですから、
心情的には現代の我々と、さほど変らなかったのでは・・・と、思います。
自分の髪を奉納して戦場へ向かう・・・
文字通り”決死”の覚悟だったのでしょうね。
yoshi さん
コメントありがとうございます。
熊野神社は、町はずれの杜の中にあり、
日中とはいえ、私以外の人影もない境内に一人でいると
”庄内人”としては少々居心地が悪かったです(^_^;)
コメントありがとうございます。
武士とはいえ、300年もの間いくさをしていなかったのですから、
心情的には現代の我々と、さほど変らなかったのでは・・・と、思います。
自分の髪を奉納して戦場へ向かう・・・
文字通り”決死”の覚悟だったのでしょうね。
yoshi さん
コメントありがとうございます。
熊野神社は、町はずれの杜の中にあり、
日中とはいえ、私以外の人影もない境内に一人でいると
”庄内人”としては少々居心地が悪かったです(^_^;)
Posted by はらほろ at 2008年04月07日 22:29
こんにちは♪
あちこち見て歩いていると、意外なところで意外なことを知ることが出来ますネ♪
昨日、JR大久保駅を降り立ったら
目の前に「百人鉄砲隊」の絵が描かれていました。
大久保には伊賀組百人鉄砲隊の同心屋敷があったようです。
小説などでしか知らなかった歴史の一片を垣間見た気がしました。
あちこち見て歩いていると、意外なところで意外なことを知ることが出来ますネ♪
昨日、JR大久保駅を降り立ったら
目の前に「百人鉄砲隊」の絵が描かれていました。
大久保には伊賀組百人鉄砲隊の同心屋敷があったようです。
小説などでしか知らなかった歴史の一片を垣間見た気がしました。
Posted by バック at 2008年04月08日 16:43
バック さん
コメントありがとうございます。
散歩がてらに、石碑や史跡を見て歩くのが大好きです。
有名な観光地よりも、今回のように何でもない住宅地にある史跡に
先人の息づかいが聞こえるようで興味をそそられます(^。^)
コメントありがとうございます。
散歩がてらに、石碑や史跡を見て歩くのが大好きです。
有名な観光地よりも、今回のように何でもない住宅地にある史跡に
先人の息づかいが聞こえるようで興味をそそられます(^。^)
Posted by はらほろ at 2008年04月08日 23:19