プロフィール
はらほろ
はらほろ
『歩歩起清風(ほほ、せいふうをおこす)』をモットーに、
デジカメ持ってアチコチうろついています。
アクセスカウンタ
カテゴリ
散歩 (168)
長散歩 (3)
鳥海山 (98)
お菓子 (52)
和菓子 (91)
洋菓子 (100)
お団子 (39)
お餅 (53)
氷菓子 (84)
お香 (30)
行事 (12)
遊佐町 (22)
地区 (31)
学校 (31)
行楽 (77)
イベント (107)
お祭り (28)
映画 (52)
温泉 (30)
お店 (215)
BBC (65)
丸幸屋 (5)
栄軒 (7)
風景 (102)
花景色 (148)
桜景色 (72)
昆虫図鑑 (14)
滝景色 (43)
紅葉景色 (21)
梅だより (31)
玉川寺 (30)
總光寺 (7)
道楽 (69)
畑づくり (123)
手作り (18)
てぬぐい (77)
水蓮鉢 (11)
方言 (10)
本棚 (38)
当たり! (59)
ムスメ (35)
セガレ (66)
チコ婆 (52)
過去記事
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 12人

2011年10月11日

日和橋の親柱

酒田駅前を散策していて、歩道の端に「日和橋」と書かれた石柱を見つけました。



形状からいって「日和橋」という橋の親柱のようです。



一対になっている石柱には、大正十二年(1923年)十月竣功の文字が。



二つの親柱の間隔は、人ひとり分ぐらい・・・
一見周囲には川は見当たりませんが、かつてはこの場所に
「日和橋」という橋がかかっていたのでしょうか



ネット等で、「日和橋」について調べてみたのですが
詳しい事は分かりませんでした。
ご存じの方がおりましたら、ぜひご教示願いたいものです。

少し趣旨は違うかも知れませんが、フォトラバ ※マイ.橋あります!※ に参加させて下さい

タグ :酒田

同じカテゴリー(マイ.橋あります!)の記事画像
かねやまそぞろ歩き
旧両羽橋の親柱
お江戸日本橋♪
栄橋
河童橋
かみのやま 矢来橋(昭和初期)
同じカテゴリー(マイ.橋あります!)の記事
 かねやまそぞろ歩き (2016-09-06 07:06)
 旧両羽橋の親柱 (2016-06-05 08:37)
 お江戸日本橋♪ (2016-03-22 07:22)
 栄橋 (2010-09-09 07:06)
 河童橋 (2010-08-02 07:31)
 かみのやま 矢来橋(昭和初期) (2010-07-09 17:35)
この記事へのコメント
なんとも不可思議な光景です汗

珍百景ものですね

もしかしたら、この建物の先に、反対岸の親柱があるんじゃないかと想像を掻き立てられます
Posted by ⇒ガジラ at 2011年10月11日 11:14
こんにちは♪

大正12年10月と言うと関東大震災の翌月ですね。
Posted by バックG at 2011年10月11日 12:41
普段、車で過ぎ去ってしまうのですが歩くと発見なんですね。私が子供の頃はJUSCOあったり駅前通りも栄えていたのですが寂しくなりました。
若浜小だったか昔は川?海だったって聞かされてました。
どんなんだったか地上撮影写真見てみたいものです。因みに家は昔、田んぼだったって聞いてます。私が子供の頃は今のこあら町一面田んぼだったなぁ〜亡くなった母親の実家なんで畦道よく歩いたよ。
Posted by ミカ at 2011年10月11日 14:29
ガジラ さん
コメントありがとうございます。
こないだ通りかかった時に発見した“物件”です♪
後ろの塀の向こうは駐車場になっていて見晴らしはきくんですが
対の親柱は見つかる事ができませんでした。
この時は写真を撮りつつ周囲をキョロキョロしていたんですが
フト気付くと、道路を挟んだ青果店の皆さんが総出で私のほうを注視していて・・・
さりげない路上観察って、ムズかしいです(@_@;)


バックG さん
コメントありがとうございます
なるほど!
関東大震災の頃にかけられた橋だったんですね。
88年前の酒田駅前の様子・・・とても興味をそそられています(^^♪

ミカさん
コメントありがとうございます
私がコドモの頃も、オヤに「サカタに連れていく」と言われると
それは無条件に駅前のJUSCOの事だったんですが
正直いって今は隔世の感がありますね・・・
酒田の玄関口の駅前、せめてJUSCOの跡地の空き地だけでも
なにか有効に活用できると良いのですが(^^)
Posted by はらほろはらほろ at 2011年10月11日 17:49
これはとっても興味をそそられるものですね。

昔々、ここに川が流れていてその橋の名残なのか?はたまた、ここの地主さんでもどこからかもらってきてオブジェとして置いておいたのか??

大正時代だと「酒田」は合併前(昭和の大合併)で、本当に中心街の限られた地域(中町とか本町とか一番町とか)だけだったようで、酒田駅が出来た当初は現在の幸町(酒田駅前)は「西荒瀬村」だったそうです。

現在の住宅地図を見ると、ちょうどこの親柱があるあたりは、とっても入りくんでいて、幸町と相生町と御成町の3町が交叉する地点です。
ひょっとしたら、幸町・御成町(=西荒瀬村)と相生町(=酒田町)の間に川が流れていて、そこに橋が架かっていたのかもしれませんね。川が行政区の区切りになることはよくあることなので。

ちなみに、大正時代は日向川の河口は現在の遊佐町白木ではなく、酒田市の古湊付近だったそうで、新井田川からの支流がその河口に1本流れていたそうです。
もしかしたら、その支流が現在の酒田駅前を通っていて、そこに架かっていたのがこの橋なのかもしれませんね。

参考までに
→ http://www3.koutaro.name/machi/sakata.htm

100年前の酒田と現在の酒田の地図が表示してあって面白いです。
(^^)/


ちなみに、
>私がコドモの頃も、オヤに「サカタに連れていく」と言われると無条件に駅前のJUSCOの事だった。

私が子供の頃は、無条件に中町の清水屋(現在のマリーンファイブではなく、パイレーツビルの方)でしたね~♪ (^^;)
近くに大沼デパートや小袖屋デパートもあって、遊佐の田舎の小僧にとっては大都会でした、酒田は。
Posted by 伊藤 at 2011年10月12日 11:17
伊藤 さん
コメントありがとうございます
教えていただいた「まちあるきの考古学」のサイトが面白くて
食い入るように眺めてしまいました♪

日和橋が出来た当時は、このあたりは西荒瀬村だったんですね!
「日和橋」と名前がつくにしては、「日和山」からは距離があるなぁ、と思っていたんですが
「地主さんでもどこからかもらってきて」ということであれば
うなずける気もしますし、
昔あった、新井田川からの支流の名前が「日和川」だったのかも・・・
なんて、色々な想像を巡らせてしまいました☆

パイレーツビル時代の清水屋さん、めったに連れて行ってもらった事がないので
ホトンド記憶がありません(^_^;)
ただ、柳小路に軒を連ねていた屋台のお店にはボンヤリと記憶があって
中でもト一屋さんの近くにあった(多分!)天婦羅屋さんには
「オトナになったら食べてみたいものだなぁ」と
羨望の眼差しを向けていた想い出があります(^-^)
Posted by はらほろはらほろ at 2011年10月12日 16:35
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。