プロフィール
はらほろ
はらほろ
『歩歩起清風(ほほ、せいふうをおこす)』をモットーに、
デジカメ持ってアチコチうろついています。
アクセスカウンタ
カテゴリ
散歩 (181)
長散歩 (3)
鳥海山 (105)
お菓子 (52)
和菓子 (91)
洋菓子 (100)
お団子 (39)
お餅 (54)
氷菓子 (84)
お香 (30)
行事 (12)
遊佐町 (22)
地区 (31)
学校 (31)
行楽 (81)
イベント (109)
お祭り (28)
映画 (52)
温泉 (30)
お店 (216)
BBC (65)
丸幸屋 (5)
栄軒 (7)
風景 (106)
花景色 (156)
桜景色 (79)
昆虫図鑑 (14)
滝景色 (44)
紅葉景色 (24)
梅だより (37)
玉川寺 (30)
總光寺 (7)
道楽 (69)
畑づくり (126)
手作り (18)
てぬぐい (77)
水蓮鉢 (11)
方言 (10)
本棚 (38)
当たり! (62)
ムスメ (35)
セガレ (66)
チコ婆 (52)
過去記事
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 16人

2007年09月10日

佐藤 政養像

遊佐町吹浦駅前の『佐藤 政養』(さとう まさよし)像です。

佐藤 政養像

佐藤 政養(与之助)については、ウロ覚えで”鉄道を作った人”ってぐらいの知識しかありませんでした。

佐藤 政養像

勝海舟に学び勝塾の塾頭をしたり、世界地図を刊行した人でもあったんですね。
一般的な意味とは異なるかも知れませんが、山形が生んだ幕末の”志士”の一人だと思います。

同じカテゴリー(石碑・遺跡 )の記事画像
道の駅 発祥の地
杉沢土偶里帰り♪
さよなら池袋
イザベラ・バード記念碑
永泉寺と石造九重層塔
お江戸日本橋♪
同じカテゴリー(石碑・遺跡 )の記事
 道の駅 発祥の地 (2016-12-27 07:27)
 杉沢土偶里帰り♪ (2016-12-21 10:17)
 さよなら池袋 (2016-09-19 12:10)
 イザベラ・バード記念碑 (2016-09-05 07:05)
 永泉寺と石造九重層塔 (2016-06-17 07:17)
 お江戸日本橋♪ (2016-03-22 07:22)

Posted by はらほろ at 06:42│Comments(24)石碑・遺跡
この記事へのコメント
地域の偉人ですね。置賜にも銅像けっこうありますが、詳しく見た時ないですねぇ〜。
勉強になります。
Posted by いぐね at 2007年09月10日 08:24
こういう方がいたのだと思うと、誇らしく思えますよね!
自分はどうなの?と自問自答…。
Posted by しみじみしじみ at 2007年09月10日 14:45
いぐね さん
しみじみしじみ さん
コメントありがとうございます。
デジカメ持って散歩するようになってから、道端のあるものを詳しく観察するようになりました。
・・・知らないヒトにカメラ向けるのもアレなので(笑)
深い考えなしで撮り歩きしてます。(#^.^#)
Posted by はらほろ at 2007年09月10日 18:09
こんばんは^-^
犬の散歩の記事からここまで
拝見いたしました^^v

佐藤政養の子孫の方が
遊佐の直世に住んでおられて
私、友人付き合いをさせて
頂いております。

幕末の話やら、明治天皇から
拝領の宝物とか、すごかです。
庄内に 幕末とか歴史上
有名な人物がいたことは
なんか、、うれしいことですよね?
山形新聞に連載中の
「新懲組」とかで庄内藩の活躍も
うれしいです。
かず^^ でした。
Posted by かず^^ at 2008年02月26日 18:14
かず^^さん
コメントありがとうございます。

佐藤政養の子孫の方が、直世にいらっしゃるんですか!
若い頃は、中央から離れた庄内では
華々しい歴史とは無縁なのでは、と思っていましたが、
ブログを始めてから、色々見たり調べたりするうちに、
戊辰戦争での奥羽列藩同盟の一翼を担った庄内藩の奮戦や、
その後の薩摩藩(西郷隆盛)との交友など
胸躍る歴史があったことや、
佐藤政養をはじめ先人の偉業を知り、
その積み重ねの上に私たちの生活がある事を、しみじみ思っています。

佐藤政養の子孫の方の幕末の話など、興味深いですね~♪
書物によるものでなく、”血の通った”歴史を聞けるなんて羨ましいです。

面白いお話があったら、ぜひお聞かせ下さい。
お待ちしています(^^)
Posted by はらほろはらほろ at 2008年02月26日 22:40
突然のご無礼を。
現在放映中の「龍馬伝」に幕府海軍繰練所教官佐藤与之助として登場するのが佐藤政養ですね。なかなかおもしろいキャラで登場しています。
Posted by 虎児 at 2010年05月06日 15:55
虎児 さん
コメントありがとうございます。
そうだったんですか!
先週の「龍馬伝」で、庄内弁で話す塾頭を観てはいたんですが、
それが佐藤政養であるとは、思いもよりませんでした。
虎児 さんからいただいたコメントを拝読して
カラダに電流が駆け抜けた思いです♪
今週からの「龍馬伝」が、ますます楽しみになりました☆
教えていただき、ありがとうございましたm(_ _)m
Posted by はらほろはらほろ at 2010年05月06日 18:41
実は、私は佐藤政養について何も知らず、龍馬伝を視て「佐藤与之助」なる人物に興味を抱き、ネットで調べていてここにたどり着いた次第。ある意味龍馬以上の功績を残した人であると知り驚きました。ドラマ中の佐藤与之助も何とも魅力的なキャラクターだと思います。
Posted by 虎児 at 2010年05月07日 09:01
虎児 さん
コメントありがとうございます。
佐藤政養については、私もさして知識があるわけでなく
“地元の偉人”的な薄い認識しかありませんでしたが、
大河ドラマの中の「佐藤与之助」が、勝塾の塾頭として
坂本龍馬と活き活きとお国訛りで話しているの見て
今まで感じた事の無い、興奮を味わっています。
(この間の週の「龍馬伝」の録画していたのを、昨晩もう一度見直ししました♪)
佐藤政養もまた、激動の時代の中を
みずからの“能力”と“志”で生き抜いていたんですね!
虎児 さんに教えていただいたおかげで
大河ドラマと地元の偉人を見る目が、
広がりました。
本当にありがとうございました(^^)
Posted by はらほろはらほろ at 2010年05月07日 22:05
はらほろ様

 はじめまして。右京と申します。
 勝海舟の私塾と幕府海軍操練所両方の筆頭だった佐藤与之助について調べるうちにこの記事に辿り着きました。
 佐藤が新政府でも技術系官僚として活躍したという話は近代歴史思想研究者:松浦玲先生の『検証・龍馬伝説』といった本で読んで知っていたのですが、初代鉄道助を勤め「鉄道の父」と言われる程の大人物だったとは知りませんでした。
 横浜開港を提言し、また、勝海舟の学校で海運人としての坂本龍馬と後の海援隊隊士ら多くの人材を育成したわけですから、「近代海運の父」と呼ぶことも可能ではないでしょうか。
 海と陸両方で近代日本の運輸の礎を築く業績を挙げたのですから、もっと広く知られるべき人物だと思いました。
 司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」では勝の海軍塾の塾頭は竜馬ということにされ、記憶がはっきりしないのですがたぶん佐藤与之助は登場しなかったと思います。(間違っていたら済みません。)
 「龍馬伝」が、佐藤政養の業績が再評価され改めて顕彰されるきっかけになると良いと願っています。
Posted by 右京 at 2010年05月12日 23:11
右京 さん
コメントありがとうございます。
庄内藩という、薩長を代表とする新政府の枢軸をなした諸藩からみれば
“賊軍”の出身であった佐藤 政養が、
初代鉄道助として新政府でおもきをなしたのも
その志と技術を買われてのものだったのでしょうね。
年譜には、「海舟邸で病歿」とありますので
功成り名遂げたあとも勝海舟との師弟関係は生涯変わらなかったのものと思われ
感慨深いものがあります。

佐藤 政養の銅像がある遊佐町吹浦駅前では
毎年「鉄道記念日」の10月14日に、政養の偉業を讃える「政養祭」が開かれます。
地元に住みながら、いまだ行ったことがない私ですが
今年はぜひ参加してみたいと思っています。
Posted by はらほろはらほろ at 2010年05月13日 09:01
はらほろ様 右京様
>司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」では勝の海軍塾の塾頭は竜馬ということにされ、記憶がはっきりしないのですがたぶん佐藤与之助は登場しなかったと思います。

松浦氏はじめ多くの歴史学者が繰練所を仕切っていたのは龍馬ではなく佐藤与之助であることを指摘しているようです。この点で、「龍馬伝」は一つの見識を示したといえるのではないでしょうか。
必ずしもメインな登場人物とはいえない佐藤与之助が視るものに大きな印象を残したのは、演じた有薗芳記さんの怪演(?)に拠るところが大きいと思います。彼はもともと「第三エロチカ」という小劇団出身で、私は「逆噴射家族」(1984)という映画に出られた頃からのファンです。
Posted by 虎児 at 2010年05月13日 13:34
虎児 さん
コメントありがとうございます。
「竜馬がゆく」は中学生の頃に読んだきりですが
地元ゆかりの佐藤政養についての記述があれば印象に残っていると思うので
やはり小説的にはカットされていたんでしょうかね。
ぜひ再読して確認してみたいと思います。

「龍馬伝」に登場した佐藤与之助は、
地元に住む私の口元が思わずゆるむ程の
完璧な庄内弁を使っていました。
小さなシーンにもこだわりを持って作り込んでいるのだと感心するとともに、
演じた有薗芳記さんの技量の素晴らしさにも驚いています。
Posted by はらほろはらほろ at 2010年05月13日 14:37
はらほろ様 虎児様

 レスありがとうございます。
 最初、「佐藤与之助」をウィキペディアで調べたのですが記述がありませんでした。
 今日「佐藤政養」で検索したら記事が出てきたのですが、作成日が2010年5月13日(木)なのです。昨日のことです。
 「龍馬伝」効果なのかも知れませんが、佐藤政養(与之助)の名前が徐々に世に広まりつつあるように感じ、大変嬉しく思いました。
Posted by 右京 at 2010年05月14日 11:54
右京 さん
コメントありがとうございます。
ウィキペディア私も確認しました。
やはり「龍馬伝」効果なのでしょうか
喜ばしいことです。
町の図書館にある、「遊佐人名事典」の「佐藤政養」の項をみてみたら、
与之助が江戸に上ったのは嘉永6年(1853年)とあり、ウィキペディアの記述とは少々異なるようです。
「龍馬伝」を良いきっかけとして
「佐藤政養」の故郷に住む者として
彼の事績が世に広まることを願ってやみません。
Posted by はらほろはらほろ at 2010年05月14日 13:12
はじめまして、鶴岡に住む金子@802と申します。
 
「龍馬伝」をみてて操練所の塾頭が庄内弁をしゃべっている事が気になり、いろいろ検索しているうちにココに辿りつきました。
ホントにナイスな庄内弁ですよね~・・(笑)

あの勝海舟の信頼が厚く、さらには横浜港や鉄道の父という事実を知って物凄く胸が熱くなりました!!

司馬遼太郎が竜馬がゆくだったたかで「幕末の史劇は清河八郎が幕をあけ・・」と記述してて庄内の幕末史といえば清河八郎というイメージでしたが、佐藤与之助にも凄い興味を持ちました!

アジ釣りでもいった際に銅像を見に行きたいな~と思います。
Posted by 金子@802 at 2010年05月16日 23:56
金子@802 さん
コメントありがとうございます。
佐藤与之助、昨日の「龍馬伝」でもナイスな庄内弁でしたよね~♪
今まで、「郷土の偉人」「歴史上の人物」としてとらえていた佐藤政養が、
ドラマの中で庄内弁を話して活躍しているのをを見ると
地元の私としては、なんだか胸が熱くなります。

無人駅となって久しい吹浦駅ですが、
“鉄道の父”、佐藤政養像は今でも駅前で羽越線を、日本の鉄道を見守っています。
ぜひ一度観にいらして下さい(^O^)/
Posted by はらほろはらほろ at 2010年05月17日 07:12
わしは湯の浜出身です
今までの大河ドラマは西日本側の話にな
れば奥羽側はほとんど無視だったのに、
今回の海軍操練所などまさに全国の言葉
が入り乱れ対等に渡り合って実に小気味
いいです。
龍馬伝の演出家・大友 啓史氏は盛岡の
人ですがやはり同じ東北の人物をクローズ
アップしたい、という想いももしやあったの
でしょうか それはないか?
ともあれ、今後注目の映像作家ですね
Posted by げん at 2010年06月06日 23:30
げん さん
コメントありがとうございます。
龍馬伝の演出家の方は、東北出身だったんですか!
ドラマでの佐藤与之助の活躍を思えば、
げん さんのおっしゃる事は、あながち的外れではない様に思います♪
昨日のドラマでも、操練所の門をくぐる勝海舟のすぐ脇にひかえる佐藤与之助の姿を見て、
勝塾 塾頭の重みを肌で感じる思いでした。
身近なお国訛りで、我が国の歴史に足跡を残した佐藤与之助のドラマでの活躍を楽しみにするとともに
大友 啓史氏の今後の作品にも注目していきたいと思います。
Posted by はらほろはらほろ at 2010年06月07日 08:53
昨夜の「龍馬伝」、近藤長次郎の祝言で佐藤与七郎が何やら歌っていましたね。もしかしたら庄内の民謡かな?なんて思ったりしました。何かで与七郎が長次郎の仲人をやったという話しを読みました。繰練所の若者達の相談相手でもあったようです。きっと度量の広い人だったんでしょうね。与七郎の出るシーンは本当に短いですが、演じる有薗さんの存在感で、ワンシーン毎に印象に残ります。
この後、龍馬をはじめ多くの若者が志し半ばで倒れていくわけですが、彼らの死を見つめながら与七郎はどんな思いで明治を迎えたのでしょうか。
Posted by 虎 at 2010年06月07日 08:56
佐藤与之助を与七郎などと記してしまいました。訂正します。
Posted by 虎児 at 2010年06月07日 09:04
虎児 さん
コメントありがとうございます。
民謡については詳しくないので祝言の歌が庄内のものなのかは良くわかりませんが、
画面の向こうから楽しげな雰囲気が伝わってきて微笑ましかったですよね~♪
私見ですが、与之助の故郷の我が町では、
佐藤政養は、“幕末~明治期の技術者”という一面のみが強調されてきたと思います。
毎回短い登場シーンながら「龍馬伝」で“志士”として描かれる佐藤与之助には、感動を興奮を覚えずにはいられません。

与之助がどんな思いで龍馬達の死を見つめていたか・・・
本当に興味深いですね。
ドラマの中のワンシーンででも
描かれてくれると良いのですけれど(^^)
Posted by はらほろはらほろ at 2010年06月07日 09:34
またも失礼いたします
昨年秋に北海道屈斜路湖にてキャンプ致し
ましたら関東・関西の旅人たちと出会い、
そこでそれぞれ自慢の料理を振る舞い合お
うという話になって、なんとわしは山形庄内
の「納豆汁」を作ってみせて、これが大評判
!!(だったと信じています 笑)

この幕末の時代、西日本には納豆自体なか
ったかもしれず、与之助さんは食文化の違
いに多少苦労なさったでしょうが、あの海軍
操練所では全国各地の面々が集っていた
訳ですから、やはりそれぞれの郷土料理な
ど、可能な限り再現して自慢したりした場面
もあったかも・・などと妄想しとります。
Posted by げん at 2010年06月14日 03:45
げん さん
コメントありがとうございます。
なるほど、郷土料理ですか~♪
私も関西でも学生時代に、全国から集まった寮生たちで
帰省の度に地元の銘菓を持ち寄って
互いに“食べ比べ”をしたものでした。
(私は毎回 菓子の菊池の『日本海』を持っていっていました。(^^ゞ)
“食”は言葉に勝るとも劣らぬアイデンティティだと思いますから
郷土料理でお国自慢、おおいにあり得る事かもしれませんね。

げん さんのコメントを拝見して、
龍馬をはじめとする海軍操練所の面々が、
与之助さんが振る舞う納豆汁に舌鼓をうっている場面を
私も妄想してしまいました(^^)
Posted by はらほろはらほろ at 2010年06月14日 07:44
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。